東方神起とは?デビューから今までの活動|東方神起のすべて

東方神起とは?デビューから今までの活動|東方神起のすべて

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東方神起とは?

韓国、SMエンターテイメント所属の2人組男性アイドルグループ。元々は5人で活動していたが東方神起とJYJで分裂。韓国版SMAP「Shinwha」がアイドルグループの全盛期に貢献して、スーパージュニア、BIG-BANG、少女時代、ワンダーガールズが2世代アイドルとして人気を得た。東方神起は第2世代のアイドルの「始まり」と言える。

YGとJYPなどで第2世代のアイドルグループが登場するまでSGワナビーとチョ・ヨンスを筆頭に音楽業界のトレンドがR&Bソウルバラードが侵入した当時、唯一のダンスアイドルとして人気を集めた。

グループ名は「東方の神が起きる」という意味で、このグループが今後、アジア音楽市場制覇を目標に計画されたプロジェクトであることが推測される。

特にメンバーたちの芸名を4文字で合わせたのは、中国市場を狙うためのものだった。しかし、「BOA」の成功的な日本市場進出をベースに、既存の中国の音楽市場をターゲットにしていた路線が日本中心の活動になった。本来の企画意図とは少しずれる活動路線を歩むことになる。

キャッチフレーズはWe Are T !. 2人組の再編以降であり、デビュー9年目になるごろに始まった挨拶でファンと一緒に行う挨拶だ。東方神起のメンバーたちがスーパージュニア、少女時代、シャイニーの気の利いたスポーティなキャッチフレーズがうらやましく、TONEツアーで提案した。

2015年12月19日の時点での合計14,143,519枚の累積販売記録を持っている。これにより大韓民国アイドル(歌手)グループとしては初めてのアルバム販売量合計1000万枚の偉業を達成した。

2016年から東方神起のメンバー二人の平均年齢が30歳になった。

2003年(東方神起と芸能事務所SM)

2003年12月17日。ロッテワールドで非公式デビューを果たした。

2003年12月26日の2003年SBS年越し特集BoA&ブリトニースペシャル でデビューした。

SMエンターテインメントは「H.O.T.」、「S.E.S.」、「SHINHWA」の解体や所属事務所変更により状況がよくなかった。この状況でBoAはソロ歌手としてSMの看板娘の役割をしっかりとしていた。

デビュー舞台を音楽番組ではなく、特集番組に出演しただけでも、東方神起に対するSMの積極的なプッシュが行われたことが分かる。

従って、東方神起の公式的なデビュー日は上で説明したSBS「BoA&ブリトニースペシャル」が放映された2003年12月26日だ。

2004年(東方神起のデビュー曲とアルバムについて)

2004年2月7日。 MBC音楽キャンプを通じ、東方神起として公式舞台をに立つことができた。デビュー曲「Hug」を聞くと分かるがアカペラの音が入った甘い感じの曲で、既存のアイドルグループのダンス音楽を通じたダイナミックで派手な印象とは全く異なる第一印象を残した。

これは活動当時アイドルグループの低迷によるダンスミュージックの低迷とバラード、R&Bジャンルの流行りで活気のなかったアイドル市場を他の方法で刺激し、ニッチな市場を攻略した戦略だった。

デビュー曲「Hug」を通じて、様々な音楽番組で1位を占め、アルバムでもないシングル一枚で莫大な販売数量を達成することになる。

SMエンターテインメントの男性アイドル歌手としては「SHINHWA」の「あなたの結婚式」の後、1年ぶりに男性アイドル1位曲という記録を残し、新人グループだったにも関わらず、成功的な市場反応に答えて収録曲である「My Little Princess」で後続曲活動を続けた。

アカペラダンスグループというイメージがあり、そのプレシャーが大きかったのかライブの時、原曲よりもキーを高めて歌うなど大胆な攻め方もしていた。

4ヶ月という、前例のない長いシングルアルバム活動終了後。息つく暇なく二番目のシングル「The Way U Are」と2004のSMTOWNアルバム収録曲「Drive」で活動を続けた。

これらの曲は、東方神起にとってファン層の定着をはじめ、いろいろ大きな転換点になった曲であると同時に、多事多難だったアルバム活動として広く知られている。

「The Way U Are」はラテンユーロポップスタイルのダンス曲でその後、発表されたSMPジャンルの音楽に切り替えが予測できるような派手なヘアスタイルとセクシーさを強調するメッシュの衣装が印象的だった。

しかし、先に説明したようにこれらの曲で活動している期間中、多事多難なことが色々あり、ユチョンは急性盲腸(虫垂炎)・腸炎で苦労した。

また、メンバーの一人を失う不運を経験したグループウォンテッドと同じ日に交通事故に遭うなどほとんどの事件事故が多かったアルバム活動期間であったうえに、一部のカシオペア(東方神起のファンクラブ)のウォンテッドメンバーだった「ソ・ジェホ」の故人に対する悪意を持った書き込みがマスコミを通じて記事化されるなど問題視されて、既成世代に反感を持たせた。

ファンのこういった批判される行動で、実力派グループとして認められていた東方神起のイメージにも大きな打撃をうけた。

シングル2枚で長かった7ヶ月の間のアルバム活動を終えた後、わずか1ヶ月で新しい正規1集アルバム「Tri-Angle」を発表し、事実上、東方神起は、2004年に想像もできないほど忙しい国内活動を続ける。

このアルバムは当時には珍しかったダブルタイトル曲システムだっただけに、アルバムのジャケット写真にも「Tri-Angle」の強烈な姿と「信じるよ」でのバラード貴公子コンセプトが共存する両面性が大きな特徴だった。

しかし、過去のHOTの「アイヤ」を連想させるハードコアな衣装とコンセプトが一般大衆に大きな衝撃を抱かせたことを意識したのか活動期間中、2ヶ月の間は、バラード曲の「信じるよ」で活動して本来のアカペラダンスグループのイメージを維持した。

また、クリスマスシーズンと2004年の終わりに単独冬のシーズンアルバムまで発表して東方神起は1年の間になんと4枚のアルバムを発表することになってタイトル曲だった「魔法の城」で「Tri-Angle」とダブル後続曲活動を継続することになり、東方神起はその年の各種授賞式で新人賞と同時に本賞を受賞した「ソテジワアイドゥル」とに次ぐ歌手として有名になる。

しかし、活動終わりに東方神起とカシオペア(ファンクラブ)は悪材料と向き合うことになる。東方神起のシングル2集「The Way U Are」の限定版ストーリーブックに記載されていたメンバー交代説が現実化されることが懸念されており、ファンを混乱に追い込んた。

SMエンターテインメントは本社前で行われた懇談会を通じて東方神起、中国の活動に限り、中国人メンバーを含む6人組で活動することを公表し、メンバー交代説は一段落される。しかし、これはその後、日本現地の活動計画のために失敗に終わった戦略的だったようだ。

2005年(日本デビュー)

東方神起は2005年1月2日と15日。それぞれSBS人気歌謡とMBC音楽キャンプを最後に10ヶ月の間、韓国でのアルバム活動を終え、本格的な日本デビューの準備を進めた。

そして、日本初のシングル「Stay with Me Tonight」を発表し、日本メジャー市場進出のベースを固めていた中、6月には夏のシングル「Hi Ya Ya夏の日」を発表した。

SM歌手初の単独夏シーズンアルバムで活動期間は2〜3週間余りで短い方だった。しかし、徐々に日本活動の比重が多くなりながら、今の時点に至っては、とても意味深いアルバムであるわけだ。

その後シングル2集「Somebody to Love」を発表し、韓国内でのトップクラスのアイドルではなく、日本のメジャー市場でのルーキー級新人で活動することになり、9月11日、正規2集「Rising Sun」が発表された。

「Rising Sun」は、純粋さを失ってますます堕落する人間の姿を夕焼けになぞらえ表現した曲で、前作である「Tri-Angle」と同様にSMPジャンルの曲だが、ロックサウンドではなく、ブレーキビットが使用されて強烈だがだらしなくすっきりとした印象を与える。

しかし、ジェジュンが振り付け練習中に膝の靭帯が破裂する負傷をし、振り付け隊列に一緒にしていないか、またはまったく放送に参加する不祥事が多くなり、これによる振り付け隊列補充のために行った仮面をかぶせたバックダンサーを起用したパフォーマンスの方法は、後に他のアイドルチームにも広く使用されている。

2集は東方神起の時代を知らせたアルバムだっただけに、2004年の新人時代の歌番組で10〜20位がギリギリだったた順位とは異なり、SBS人気歌謡での活動1ヶ月ぶりにトリプルクラウンを占めるなどがアルバムを通じて新人札を外した最上級アイドルとして成長した。

以後11月から後続曲である「Tonight」で活動を続けた。しかし、日本でのプロモーションのために韓国の歌番組出演はかなり減る。

ユチョンの後半アドリブパートの音域がとても高かったせいで、音域を下げて歌ったことが多くなり、見る人々を緊張させた。

クリスマスシーズンを迎えて、その年の12月には、当時の新人であり、プロジェクトの登竜門グループだったスーパージュニアと一緒に「Show Me Your Love」というコンピレーション冬アルバムを発表して、一時的に活動したりした。

当時、東方神起の人員とスーパージュニアの人員を合わせるとなんと17人に達したため、舞台がいっぱいになり一部のメンバーがステージで倒れやないかという懸念の視線も大きかった。

東方神起は2集の活動を通じて、その年Mnet映像音楽対象で最高の人気ミュージックビデオ賞とSBS歌謡大典で最高人気賞を受賞し、2集活動を正常に終えた。

2006年(「O」 - 正。反。合。発表)

2005年12月30日、KBS歌謡大賞を最後に公式2集活動を終えた後、最初の単独コンサートや各種CF、そして劇場ドラマ「Vacation」の撮影を通じて、韓国と日本を行き来しながら活動を続けていき、2006年6月には、ユ・ヨンジンが作曲を担当した2006年ドイツW杯を狙った応援歌「東方の闘魂」を発表された。

しかし、韓国が16強進出に失敗し、2002日韓ワールドカップ当時のインスピレーションさえ粉砕されたうえ、韓国を応援する趣旨で発表された曲だが、韓国が肝心のワールドカップに苦戦していた頃は東方神起は日本で最初のツアーを繰り広げてしまった。

そして長年の日本での活動をしばらく終わらせ、9月29日正規3集 "O" - 正。反。合。が発表された。事実、2005年の年末に仕上げされた2集活動以後9ヶ月間持っていた空白期の間にシングル4枚の正規アルバム1枚、そして最初の日本ツアーまで並行しながら、果たして韓国のアルバムを準備する時間があったかという疑問があるほど厳しい日本の活動を行ったため、ファンも心配と疑問が生まれた。

とにかく、東方神起は当時80万人という想像もできない公式会員数を誇っていたカシオペアの規模を考慮して、2集と同様にアルバム発表翌日ショーケースを行い、本格的なアルバム活動に入った。

「O」 - 正。反。合。でSBS人気歌謡トリプルクラウン達成後、すぐに後続曲「風船(Balloons)」で活動を継続した。コンセプトが当時からちょうど10年前に流行したHOTの「キャンディ」を連想させるために東方神起が企画当時「第2のHOT」というスローガンをよく掲げた点から推測すると、もしかしたらHOTの後継グループになるための前作「 Tri-Angle」でのハードコアなコンセプトに続く第二の関門だったわけだ。

SMPジャンルの曲と相反する若々しいコンセプトが供給されたせいか、K-popランキングチャートもタイトル曲「O」 - 正。反。合。をより宣伝するなど、大衆にもかなりアピールされた曲だが、リメイク曲だから、日本のアルバムに比べて丁寧に作っていないという批判も避けることはできなかった。

しかし、リメイク曲という点が既成世代にもかなりアピールされ、この曲でSBS歌謡大戦では、原曲の歌手である「5本の指」と、KBS歌謡祭では演歌歌手の「ソン・デカン」、「テ・ジナ」、「ソル・ウンド」とコラボ舞台をを飾ることができた。

東方神起は2006年MKMF今年の歌手賞、ソウル歌謡大賞大賞、ゴールデンディスク授賞式アルバム部門大賞、SBS歌謡大戦対象など年末歌謡授賞式グランドスラムを達成しなることで、2005年よりも硬い地位をとった。特に正規3集は、2010年基準で40万枚を突破し、2006年のアルバム販売量1位を記録した。

2007年(高まる人気)

3集活動の仕上げた後、9枚目のシングル「Step by Step」を発表し、再び日本での活動に集中していた東方神起は、2007年2月23日から25日まで第二のコンサートTHE 2ND ASIA TOUR CONCERT "O"を開催した。

単独コンサートとしては異例の約10億ウォンを上回た投資額と東方神起が各種年末授賞式グランドスラムを達成し、メディアの関心も熱かっただけに、tvNを通じてコンサート実況を中継してファンを満足させることもできた。

しかし、公演後、一部のファンが公演前に預けたお手荷物を見つけられず夜遅くまで帰宅できなく、いわゆるお手荷物大乱のような安全事故によりひんしゅくを買った。

コンサートの後、東方神起は当初4集カムバックステージを2008年始にきめ、日本でも徐々に人気上昇を見せ、地元の反応に力づけられて2007年にはほぼ日本活動に集中しながらも、デジタルシングル「旅行記」を発売、ドラマOST参加と、アジアソングフェスティバル、Mnet 20's Choice参加し、ジュンスの「アニメバンド」プロジェクトへの参加、アンコールコンサートなどを通じたわずかな活動を通じて、国内ファンたちのために頑張ったが、本来は毎年9月に東方神起がカムバックステージをすべき時期にスーパージュニアがアルバム活動に乗り出す姿を見せて物足りなさを増加させた。

2008年(タイトル曲「呪文-MIROTIC」発表)

そんな中、2008年2月中下旬、東方神起の日本16枚目のシングル「Purple Line」が初めてオリコンチャート1位を記録した朗報と同時にSBS人気歌謡とKBS2ミュージックバンクを通じたスペシャルな活動に入るというニュースが出てきた。

本来この曲は作曲家がユ・ヨンジンである点と、ミュージックビデオも韓国での撮影が行われたこと、そして本来2008年の初めには4集カムバック時期に予定していた点を挙げて、この曲を通じた一時国内活動をある程度予測するファンもあったために、偶然にもオリコンウィークリー1位までに達成するようになっ祝うの意味まで加わったスペシャル活動を繰り広げることにしたわけだ。

この曲を通じて歌謡プログラムと芸能プログラムを通じた一時的な活動を行った後、東方神起は日本でも3連続オリコンウィークリーチャート1位行進を続け、日韓両国で勢いに乗っ始めた。

そして2008年9月には、1年7ヶ月ぶりに伝説の正規4集「呪文-MIROTIC」の発表が確定される。

本来2008年始めを予定していたカムバック時期が、日本での上昇により、下半期に延期されて2年ぶりに韓国カムバックが実現されたわけだ。

タイトル曲「呪文-MIROTIC」はリバースビートジャンルの曲で一度聞けば抜け出せない歌詞の内容とジェジュンが名づけた小見出しMIROTICを介して、既存のSMPジャンルの曲と差別化を図った。

前作に比べて控えめな感じで、眠っているリズム感を呼び起こす膨大な中毒性のビットと難易度の高い振り付けでも有名だったが、女心を狙撃してスタイルの輪郭を精一杯露出のある衣装を通じたセクシーな男性美を強調した戦略が通じアルバムだけなくK-POPチャートでも前作の「Tri-Angle」、「Rising Sun」、「 "O" - 正。反。合。」よりも相当期間上位を維持できた。

さらに、これまでアルバムごとに目指してきたSMPパフォーマンスに隠された歌唱力も長い日本での活動を通じて上達さデビュー初期以来包まれてきたアカペラダンスグループというスローガンが光を放つようにされて初めて完全体のグループと呼ばれるかなりの好評を受けて、大衆のものすごい賛辞を受けた。

余談だが、タイトル曲「呪文-MIROTIC」の歌詞の中で「Under My Skin」、「Crystal」そして「Red Ocean」という一節がそれぞれスキンシップと精子は、女性の処女膜を当て付けたような感じを受ける理由に青少年保護委員会から是正措置を受けた。

しかし、その後、この判決が、あまりにも非常識だと判断した裁判所の判決に応じて再解除されるに至る。しかし、2008年SBS歌謡大戦だけは元の歌詞に呼んだのにこれ放送時間が深夜を過ぎた時間だったから可能だったとする。また、単独コンサートで修正されたクリーンバージョンを否定するようなファンの原曲の歌詞合唱(掛け声)が話題になった。

2009年~2010年(キム・ジェジュン/ユチョン/ジュンスの訴訟とJYJ結成)

東京ドームの単独コンサート開催という偉業を達成し、アジア市場で認知をあげている中、2009年7月31日、メンバーのジュンス、ユチョンとジェジュンがSMエンターテインメント社を相手に専属契約効力停止仮処分訴訟を提起した。

しかし、メディアの報道の後3ヶ月間は、SMエンターテインメントとエイベックス側からの迅速な対応に乗り出し、大きな問題にならなかったし、ファンも普段のメンバーが、対外的に見せてきた中のいいイメージを考えたときそんなことはあり得ないと軽く思われていた。

しかし、年末に入って噂が事実であること明らかになり、予想外に法廷闘争が長期化し、グループ活動、中断の危機に置かれた。

訴訟を提起した三人のメンバーらと残りの2つのメンバー同士は別部屋を使い、スケジュールの間に移動するときには、別の車に乗って、韓国と日本を行き来する飛行機でも、互いに離れて座るなど、すでにメンバーの間にも手に負えない状況になった。

このため、2010年初めに計画された韓国5集カムバックステージはお蔵入りになり、グループは対外的には、2009年に開かれたNHK紅白歌合戦を最後に、そして2010年3月に発売された30回目の日本シングル「時間を止めて」以来、公式活動休止を宣言するに至る。

以後、訴訟を提起した三人のメンバーは、2010年6月からJYJを結成して活動しており、一連の事態により、グループ自体のビジョンが不透明になって、今後の活動の方向さえ白紙状態になってしまったユノとチャンミンは、それぞれの音楽活動と演技者活動を通じて、今後の活動の方向を模索するようになった。

過半数のメンバーの離脱により、今後の活動の進行に打撃を受けた東方神起は、グループ存続の危機を迎えることになって脱退メンバーの訴訟の長期化とファン層の分裂が急速に悪化し、SM側は、最終的に5人を一緒に連れていきたいという既存の方針を撤回し、会社に残ることにしたユノとチャンミン、二人のメンバーたちだけ東方神起の活動を積極的に再開することに決定する。

その後2人組東方神起は2010年8月SMTOWNライブツアーを介して、当初の5人組東方神起の5集タイトル曲で内定していた曲である「Maximum」を通じて初公開された。

さらに、オープニングのコメントで自分たちを東方神起と紹介しながら、2人体制東方神起としてのカムバックを予見した。

東方神起はこれ起点に正規5集カムバック準備と同時にグループの活動再開のためのウォームアップに入った。

2011年(ファン層の分裂)

2010年12月に、公式ホームページの公知を通じて東方神起の2人組カムバックが確定された。

事実、2人組東方神起の実験概念の最初の公式舞台であったSMタウン2010合同公演を通じてある程度予見されたことだったがこれで東方神起という名前を思い出にしたまま、新しい名前でのデュエット結成、あるいはユンホ、チャンミンのメンバー各自の同じ所属事務所中の独立した活動を通じて、過去HOTの前例をそのまま続けていかないかという両方の予想は、外れた。

これらの決定はもちろん、メンバーたちの意志も多く反映がされますがSMの立場でも東方神起が6年間活動してきて培ってきたキャリアとチーム自体のネームバリューがSMのブランドバリューに相当支えになってくれるので、東方神起という名前自体を捨てるのが容易でなかったのだ。

SMとメンバーたちの決定を介して「東方神起を守ってくれてありがとう」と安堵するファンもいたが、これをよく思わない人も少なくなかった。

その結果、東方神起ファン層は、現在の東方神起2人体制だけ応援する部類、JYJと東方神起の両方を完全に応援する部類(5人支持)など多岐に分かれるされてファン層の間の戦いは、今まで続いている。

2010年12月前後に東方神起のカムバックスの輪郭が取れるところSM所属アーティストとしては異例の年末授賞式シーズンにTV広告を通じて東方神起のカムバックを知らせるなど、広報に総力を傾けた。

そして2011年1月3日に、彼らは2年3ヶ月ぶりに5集タイトル曲「なぜ(Keep Your Head Down)」でカムバックした。この曲は当初、2010年の初めに東方神起の5集に収録されるユノのソロ曲の予定だったが、3人の離脱後、それに合わせて音楽路線の変化は避けられないなり、チャンミンを加えたまま、かなりの部分の編曲と修正を経た後、タイトル曲に決定するに至る。

この曲を通じて各種歌謡プログラムで相当回数1位を席巻して、その年35万枚のアルバム販売量を記録し、対外的には前作「呪文-MIROTIC」に劣らない成果を収めされて、これにより、リパッケージリリースされるまで、サブタイトル曲の「Maximum 」と「なぜ(Keep Your Head Down)」のリミックスバージョンを使用してタイトル曲活動の延長線上の意味で正常に活動を続けた。

その後、3月下旬になる頃、彼らはリパッケージタイトル曲「これだけ知っているが(Before U Go)」で後続曲活動に入った。この曲は、バラードバージョンと、その後Catch Meコンサートのライブアルバムが発売されてから、正式に聞くことができたパフォーマンスバージョンの2つのバージョンが存在するが、ファンの大体は、後者を好む。

また、サビの中で「바보등신(バカアホ)」という一節が注目を浴びたが、作詞家であるユ・ヨンジンの立場では、愛していた女性を守れなかった自責感を強調する旨であったと思われるが、悪口のようなニュアンスが漂ってくるせいでMBCの審議にかかったことの中で、「愚かな私」に修正して歌わないといけなかった。このため、MBCはファンにまさにバカアホという言葉を聞かなければならいはめになる。東方神起は4月第4週までの活動を継続した後、5月から日本での活動再開のためのウォームアップに入った。

2012年(JYJと完全に決別)

2012年9月24日、正規6集「Catch Me」が発表された。5集よりも旺盛な活動をしないといけない状況だったが、5回目の日本ツアーが一歩遅れてスターツされ、当時、SMが新人グループEXOのプロモーションに総力を傾けていた状況が噛み合って、2011年4月、5集活動仕上げた後1年5ヶ月ぶりに国内カムバックが実現されたわけだ。

タイトル曲「Catch Me」は、ステップサウンドとオーケストラ伴奏が調和したSMP曲で、愛する恋人に別れを告げるが、本音は別れたくないプライドの高い男の二重性を歌詞に込めた。

また、メンバーたちとバックダンサーの腕で、それぞれ龍の姿とハルクの腕を形象化した振り付けを介し東方神起特有の派手なパフォーマンスを示すことによって、メンバー離脱にもかかわらず、まだ健在することを証明できた。

ところが、曲を公開する当日に予想よりも低い10位前後を記録し、当時の一部の歌謡番組がランク制度をしばらく中断していた状況とPSYの江南スタイル熱風が相まって「東方神起は歌謡プログラムで一度も1位をすることができなかったアルバムになった。

しかし、5集で、より高度なクオリティとメンバーたちのボーカル能力で評論家の間で好評を受け、たとえアルバム1位を記録できなかったが、唯一のPSYの江南スタイルに対抗1位候補に最も多く上がった曲となった。

また、オーケストラの伴奏などいくつかの部分で国内ファンたちには全く慣れていないジャンルだったという点を考えて見たとき、こんな不利な条件にもかかわらず、多大な成果を上げたとも言える。

歌の壮大なメロディーと難易度の高い振り付けも有名である。このため、「江南スタイルのせいで本当の価値が発揮できなかった歌」とも呼ばれる。また、余談だが4年という長い時間だけのCatch Me国内カムバックコンサートで3分での公演チケット売り切れという空前絶後の記録を残した。

アルバム活動に突入して1ヶ月半が過ぎた時点である11月17日と18日の両日に渡ってアルバム発表に先立ち、一定の公知の単独コンサートが開かれた。

東方神起の名前で開かれたコンサートであるだけに、5人時代の曲も多数取り上げファンにとって思い出をプレゼントするとともに、東方神起はまるで負傷した患者(ファン)のリハビリのような概念のような、公演だったことが言える。

しかし、公演視点がアルバムの活動が始まって間もない時点であったうえ、先に活動していたBoAの7集「Only One」がリパッケージアルバムを発表し、後続曲活動せずに1ヶ月ぶりに仕上げされた前例があったため、6集活動が後続曲なく、すぐ終わるのではな以下という疑問を生んだ。コンサートで後続曲である「Humanoids」の振り付けとティーザーが公開され疑惑は終結した。

先に説明したように1週間後に、事実上後続曲ショーケースを兼ねたコンサートを通じてティーザーと振付師公開された「Humanoids」が収録されたリパッケージアルバム発表と同時に後続曲活動に入った。

「Humanoids」はシャイニーの「シャーロック」の作曲にも参加したトーマス・トルソンが大勢作曲家と共同で作業したハイブリッドエレクトロニックジャンルのダンス曲で、現実に安住せず、未来に向かって進んでは、未来志向の歌詞が入れられた。

これらの点を挙げてユ・ヨンジンの曲でという推測が多くあったが、ユ・ヨンジンが一体作業に参加していないことが知られ、事実上、ネオSMPに分類されている。

これにより東方神起の6集は後続曲さえエレクトリックダンス曲で活動した最初のアルバムとなった。

そして2012年11月28日SMは3年間の法廷攻防の末、JYJとの調整に合意した、「今後互いに関連されることがなく、相互干渉しないようにして、本日の調整を介して裁判を終えることになった」ことを明らかにした。

ファンの誰もが可能だろうとは思わないだろうが、これで東方神起はJYJと完全に決別して、2人組のグループに確定され、各種ポータルサイトのプロフィール上でのっていた三人のメンバーの名前が削除された。

東方神起は2012年12月31日に開かれたMBC歌謡大祭典を最後に公式6集活動を終えた。痛々しいメンバー離脱を経験していたが、いつの間にか中堅アイドルという呼称がふさわしい年次となり、韓国音楽界でも影響力が大きいネームバリューを持つように年末歌謡フェスティバルと授賞式で一番最後に舞台を飾ったが、Catch Meの発表1ヶ月でチャートアウト、そして歌謡プログラム1位の記録皆無という良くない成果を残してファンの間では、これまでのアルバムの中で最も残念に感じられるアルバムと呼ばれる。

2013年(活動分野を広げる)

6集活動終わらせた後、東方神起は日本中心の活動をしながら、それぞれチャンミンの「町内芸体能」のMCとユノのドラマ「ヤワン」を通じた演技活動を通じ、国内のファンを退屈させなかったし、日本で7万人規模の日産スタジアム海外歌手初進出という朗報と共に東方神起はいつのまにかデビュー10周年を目の前になっていた。

デビュー10周年が目の前だった013年10月には、2008年持っていた5周年ファンミーティング以来、約5年ぶりに高麗大学の「ファジョン体育館」でカシオペア3期ファンミーティングを開いた。

日本中心の活動を行うことが長かったせいか、次の正規アルバムの便りがしばらくの間、聞こえなかったが、2013年11月には、正規7集発表が予定されているというニュースと同時に、SMTOWN WEEKを通じた10周年記念コンサート日程が発表され、国内ファンの期待に満たしていた。

デビュー10周年を迎えた2013年12月26日と27日の両日開かれたSMTOWN WEEKの一環として開催された「Time Slip」公演を通じて東方神起はこれまでしばしば歌わなかった「Hug」をはじめとする初期の頃の曲を多数歌った当日正規7集のティーザーも公開されることにより、ファンに期待感と安堵感を与えることができた。そして5集に続き、年末授賞式シーズンにカムバックを知らせるTV広告が出ていた。

コンサートを前後して7集カムバックの輪郭が徐々に見え、翌年の2014年1月第1週のカムバックが確定され、東方神起は2013年の終わりと2014年の開始船上で迎えることになったデビュー10周年記念プロジェクトに入った。

2014年(正規7集「TENSE」公開)

そして2014年1月4日、KBS2ミュージックバンクを通じてカムバックした。 SMが後輩グループEXOの「狼と美女(Wolf)」から施行してきた先に音楽番組、その後音楽リリースという多少のファン層の火力が発揮において状況が厳しくなりそうなプロモーションを介してファンを翔っクに追い込んだ。

その後、1月7日に正規7集「TENSE」が公開された。東方神起歴代アルバム史上初のアルバム固有のタイトルが指定されたアルバムでデビュー10周年を意味する「10th」と「緊張した」という意味の英単語「TENSE」の中の中的表現。

収録曲の中で最も目立つ曲でデビュー10周年を捧げている感じのイントロ曲「TEN(10 YEARS)」とSMTOWN WEEKコンサートで先に公開された「いつもそばにいるよ(Always With You)」が挙げられている。

タイトル曲の「Something」はユ・ヨンジン作曲いえ、既存の強烈なSMPジャンルやコンセプトと多く相反する挑戦的なスイングジャズのジャンルとスーツ姿を通じて10年目の歌手としての柔らかく重厚なイメージを存分に生かした。

過激じゃない重厚で高級なコンセプトがアピールされ、K-POPチャートでも1位を占めてかなり頑張った。韓国の女子アイドル「ガールズデイ」も同名の曲を発表してしばらくの間、チャートで二つの 「Something」が並んで1、2位に共存する珍しい風景が起きた。

また、歌謡番組でも相当数1位を占めた。しかし、活動期間の間にも、日本のアルバムのプロモーションとミュージックビデオ撮影のためだったのか、放送出演が6集に比べて多くのまばらな方なので、ファンたちは物足りなさを感じた。

1ヶ月程度の期間を開けた後、後続曲である「スリスリ(Spellbound)」を発表し、活動を継続した。 「スリスリ(Spellbound)」は、「Something」の延長線上にあるような高級たビットシャッフルサウンドが調和したダンス曲で少女時代と2NE1の人気で大きく反響を呼び起こせなかったが「Something」と同様に過激せず無難に聞くことができる曲。

しかし、これもユノの足首負傷のための活動期間が一ヶ月にも満たなかった点が悪材料だった。ユノの負傷回復後、東方神起は、その後2ヶ月にわたった第7の日本ツアーに突入することになる。

ツアー終了後、ユノはMBCドラマ「ヤギョンクン日誌」を通じた演技活動を、チャンミンはしばらくの間、休息期に入った。7集コンサートの便りが聞こえて来ていないファンが待ちくたびれる頃、2014年10月には、東方神起の5番目のコンサートSPECIAL LIVE TOUR「T1ST0RY」の日程が公開された。

コンサートのタイトルは、東方神起の英語圏の頭文字イニシャルである「T」と「HISTORY」、そして数字1と0を組み合わせた言葉で東方神起の10年史を扱う趣旨の公演であることを公表したわけだ。

コンサート開催がアルバム発表に比べて遅すぎるのではという不満もあったため、これに対する不満は公演2日目だった2014年12月7日に東方神起デビュー4,000日になる日のことが知られながら終息した。

コンサートの内容は、「Time Slip」コンサートに比べて初期のヒット曲の割合がそれほど多くなくて、タイトルとは趣旨が合わない感じもあるが、その分、新鮮だったという評価も相当あった。それより、ファンに最も刻印されたのはどうやらチャンミンの上半身脱衣じゃなかったかと思う。

本人たちも自信があったのか、Somebody to Loveの韓国語バージョンを歌う中、ファンにカメラを持って写真を撮ることを許可していた。

2015年(ユノ・チャンミンが兵役へ)

2015年を期して、30歳を迎えたユノが入隊を控えている状況だったため、しばらくの間は、東方神起の姿を見えにくくなった。SM側でユノの入隊前の最後の公演計画で準備していると噂されていたが、その通りで4月30日に以前、開かれた「T1ST0RY」のアンコール概念のコンサートである「T1ST0RY。 ..&!」の公演日程が発表された。

事実上、入隊前の最後の公式活動である2015年6月13日、14日の両日に行われたT1ST0RYアンコールコンサートでユノの入隊ニュースだけではなく、チャンミンもユノ入隊後は早めに入隊をするという計画を明らかにした。

チャンミンは「私たちは、新しい旅をして来ますのでお待ちくださいワンピースでルフィが二年の後に会おうかというシーンが私達とカシオペアの皆さんの状況と似ていると思います。それぞれ別のストーリーを作り上げていると数年後、私たちの物語をこの席で話しましょう」と述べ、ファンは涙を流した。

2015年7月20日昼12時、各種音楽サイトを通じてスペシャルアルバム「RISE AS GOD」を発表した。メンバー別ダブルタイトル曲でユノのソロ曲は「シャンパン」、チャンミンのソロ曲は「Rise As One」である。

ユノはスペシャルアルバムの発売翌日だった2015年7月21日に新兵教育隊を通じて現役で入隊し、チャンミンも義務警察に合格し、2015年以内に入隊するという計画を明らかにした2015年11月19日に基礎軍事訓練を受けた後、義務警察に服務することで、東方神起は再び2年間の休息期を迎えた。

2017年(兵役終了・ソロ曲活動)

メンバーユノが21ヶ月間の兵役を終えて2017年4月20日付で予備役兵長階級の満期終了で民間人の身分に戻ってきた。兵役が終わった後には、7月にあったSMTOWNコンサートでソロ曲「Drop」の舞台を曲公開に先立って最初に公開し、続いてチャンミンも21ヶ月間の兵役を終えて2017年8月18日付けで予備役兵長階級に満期終了で民間人の身分に戻ってきた。これにより東方神起はメンバー全員が国防の義務を終えて自由の身になった。

8月21日から22日までソウル、東京、香港の3つの都市を巡回するプレスツアーを開催して「東方神起WEEK」をはじめとする国内外のカムバック計画を公開した。

続いて9月25日、各メンバーのソロ曲公開とミニコンサートを通じた活動プラン」東方神起WEEK」を公開し、同じ日にSM STATIONを通じてユノのソロ曲「Drop」と28日、チャンミンのソロ曲「旅(In A Different Life)」を順次発表し、30日と10月1日の両日、スペシャルミニコンサート「YouR PresenT」を開催した。

2018年(日本で3日間、累積観客100万記録達成)

東方神起は先立って開催されたドームツアーをはじめとする3ヶ月余りの日本での活動後、正規8集作業に集中する。 3月18日、正規8集アルバムの最初のティーザーが公開された。その後、毎日深夜に収録ティーザー4つの公開し、その次の日の深夜、異例の収録曲「平行線」のミュージックビデオティーザーも公開された。

そして同時にタイトル曲の「運命(The Chance of Love)」のTVコマーシャルやYouTubeの広告を掲載してファンをより期待させた。

また、2018年2月6日にSMエンターテイメントと再契約をし、3月28日正規アルバムNew Chapter#1:The Chance of Loveに韓国カムバックをした。そして2018年5月5日〜6日、ソウルで「TVXQ! CONCERT - CIRCLE - #welcome」を成功的に開催した。

そして2018年、東京ドームよりも規模が大きい日本の日産で、日本はもちろん、世界の歌手初(!)で3日連続公演という大記録を打ち立て、単一のツアー累積観客100万(...)を突破する大記録を達成する。

また、日産スタジアムで一般席がすべて完売となって「視野制限席」を解除したが、これはまた、すべて完売された(...)。このコンサートで稼いだグッズ収入だけ300億ウォンと予測されている。日本での相変わらずの人気を知ることができる部分。

最終的に日産スタジアムでコンサートを開催した3日間の合計500億ウォンを超える売上高があったという。

2018年12月26日にデビュー15周年を記念してスペシャルアルバム「ニューチャプター#2:ザトゥルース・オブ・ラブ(New Chapter#2:The Truth of Love)」を発表し、同日高麗大学「ファジョン体育館」でファンミーティングを開催した。

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