ゆちょんのプロフィール|デビューから芸能界退出まで

ゆちょんのプロフィール|デビューから芸能界退出まで

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韓国を代表するアイドルグループ東方神起でデビューし、その後JYJとして歌手活動、俳優として活動をしてきた。しかし、性暴力事件に巻き込まれたり、2019年4月24日ヒロポン投与で事実上韓国芸能界で退出された状態。アイドルとしてのイメージは完全に壊さてしまった。名字は「パク」でフールネムはパク・チャンミン1986年6月4日生まれで身長は177cm、血液型はO型。左利き。

デビューから、退出までの一連の流れ

2003年に米国でキャスティングされ、東方神起のメンバーの中で一番遅くSMエンターテインメントに入った。東方神起時代に使用していた芸名「ミッキー」は、米国に住んでたときに使っていた英語名「Micky」に由来したもの。

しかし、2009年にSMの専属契約に反発して、東方神起の元メンバージェジュンジュンスと一緒に「専属契約効力不存在確認訴訟」を提起した。 JYJの所属を移した後からは、歌手ではなく、俳優としてのキャリアをより集中的に積み上げてきたが、ドラマ「成均館スキャンダル」が成功した後、いくつかのドラマで主人公役となり、韓国の複数 「演技ドル」の中で最も注目される人物の一人として成長した。

しかし、兵役代わりに努めていた「公益勤務」中に起きた性暴力事件で彼のイメージはものすごく打撃を受けた。

世論の熱い関心に警察庁長官が出て公平な捜査を約束し、異例の12人の捜査官が捜査をしたという。捜査の結果、性犯罪については、性的暴行と売春の両方の証拠不十分による嫌疑無しで結論された。

そして、パク・ユチョンのファンは法廷を訪問し、無告罪に対する厳罰嘆願書を提出した。この事件は、告訴だけ一日になんと6,000件の記事があふれるほどの世論の注目が集まった大規模な事件だった。

彼を告訴した女性の一人は実刑が宣告され現在、服役している。もう一人の女性は、国民参加裁判で証拠不十分で無罪判決された。検察がこれを不服して控訴をしたが、無罪が確定した。

捜査機関が嫌疑がないことを認めたが、ファン層のほとんどが女性で構成され芸能人が不健全なお店に、それも「公益勤務中」に出入りしたのは事実で明らかだったので、性犯罪者というレッテルだけは張られなかったが韓国内でのイメージがよくなることはなかった。

そのため、ユチョンは、主に日本などでファンミーティングなどを行い、空白期間を埋めながら2019年1月からは、本人のYouTubeチャンネルを開設し、国内活動再開にも始動をかけた。2019年2月の時点で、ユチョンのYouTubeチャンネル登録者の数は3万1,805人。

しかし、2019年4月23日、前恋人であり婚約者であった「ファン氏」と一緒に麻薬を投薬した疑いで再び警察の捜査線上に上がった。彼は異例の迅速な記者会見まで開いて容疑を否認したが、国立科学捜査院で彼の足の体毛で精密検査を実施した結果、ヒロポンの陽性反応が出て、もはや疑いを否定することができなくなった。

このため、ユチョンは、嘘つきで詐欺師というレッテルが張られることになる。ヒロポン投薬の事実を認めて心から謝罪できていたた記者会見、警察の調査、拘束令状審査があったにもかかわらず、嘘で誤魔化してしまい、芸能界で15年積み上げてきたものを自ら壊してしまった。

事実上、演技者としての最後の作品は、薬物の容疑を否認した記者会見になったわけだ。しかし、これについてもどのように体に薬物が入ったかを確認するという変な言い訳で世間から大きな批判があった。

彼の体毛からヒロポン陽性反応が出たというニュースが報道されると、所属事務所であるシジェスエンターテイメントはユチョンと、もはや信頼関係を継続することができないという理由で、ユチョンに専属契約解約を通知しJYJも正式に脱退し、彼の芸能活動に不名誉なピリオドが打たれた。

歌の実力

ボーカルとして音色はやや鼻音が混ざった柔らかい低音で、旧東方神起5人の中で最も「甘い」声を持っていると評価される。繊細な表現力もある程度、備えているという評価。これは主に韓国アルバムのバラード曲で利点として働き、コンサートなどでソロ曲でよくミディアムテンポのR&B系の選曲するのもそのためであった。ポジションはユンホと同様にラップとサブボーカルを兼ねる役割だった。東方神起時代には歌うときにチャンミンとユンホが一緒に歌う場面もあった。

デビュー初めの頃にはボーカルのほか、主に英語のラップや導入部のナレーションを担当した。これはsm直属の先輩であるH.O.T.のトニーアンと「Shinhwa」のエリックと同様のポジション。

2007年に日本で発表したソロ曲「My Girlfriend」がこのスタイルをよく生かした秀作として評価される。ただしこれは、裏返して言えば音色のせいで、歌えるジャンルに限界があるということだった。

特に大きな声を出さないといけないSMPジャンルでは彼の声はよく合わなく聞き苦しいという感じもあった。ライブの時は実力の起伏があり、東方神起5の中で最も深刻な方だった。

実際、2005年頃まではダンスが少しでも入る曲はライブではいい姿を見せなかった。日本での活動を経て、韓国で3集頃からはたくさんライブに出ていたが厳しそうだった。持病の喘息のせいらしい。

そもそも東方神起の曲自体がリードボーカルであるジェジュンジュンスを念頭に置いて作られているだけに、低音域の彼にはちょっとハードだったかもしれない。

一方、韓国より役割がくっきりと配分されている日本での活動では、主に曲の導入低音部を担当していたので、相対的に安定しており曲と他のメンバーたちの声とよく調和され好評だった。2007年以降は弱点である音域(高音)の問題を積極的な歌声の活用で突破する姿を見せてくれた。

2007年ソロ曲「My Girlfriend」、2009年「Bolero」は、韓国4集の「夕焼け...眺める」などの曲でユチョンの歌声アドリブを聞くことができる。

5人組の活動の終わり頃には、発声に自信ができた模様で、高音の処理がある程度きれいなり、高い音をシャウトに置き換えて出す方法を示してくれた。

これが最もよく表れているのが2009 A-nationでの「Survivor」と「Stand by U」につながる部分。

メンバーの中で作詞や作曲に最も積極的に参加してきた。最初の自作曲である「ヨウビ」を始めに、「Evergreen」、日本での「Kiss The Baby Sky」、「COLORS」などのファンが東方神起の名曲で選ぶ歌の多くがユチョンの作品である。韓国/日本両方で作詞能力も好評だった。キム・ジェジュンもJYJメンバーたちの中でユチョンの音楽的才能が最も優れていると評価したことがある。

JYJとしての活動

東方神起の活動終了後、最初に迎えたバラード中心のアルバムだったJYJの「In Heaven」から高音処理能力を抜群に引き上げた姿を見せてくれた。2009年のように声帯自体を酷使させることでシャウトするのではなく、本来の喉から安定的に高音を引き上げる高音処理能力を持つようになった。

仲がいいチームメイトだったキム・ジュンスが変成器の後、高音を出すのが困難になり、自分の喉で長い練習期間を経て、技術的な部分で本人の高音処理能力と発声能力を引き上げた。

平均アイドルの練習期間と比較して、比較的に練習生期間が短かったユチョンは、2004〜2009年度の活動時点で高い音を出すことが苦手だったが、11年の時点で、以前とは比較にならない安定性を備えるようになった。

まとめてみると、事実上、日本の活動後半部の時点から、自分たちのライブの安定性と本来の歌の実力自体を限界まで引き上げたことが、残りの4人であれば、ユチョンは活動終結時点まで継続発展しており、2011年「In Heaven」アルバム時期に自分のスキルを完成させたと思われる。

従って、ユチョンは活動中に自分のボーカル能力を最も多く発展させたのメンバー。曲のラップを担当したことがある。

米国に住んでいたので政派のラッパーをよく見て来ており、英語の発音は良い方だが、むしろ韓国語の発音があまり良くなくて韓国語のラップの場合は少し発音が完璧じゃないところがあった。

ジュンスが作曲し、彼の双子の兄キム・ジュンホが作詞したJYJのダンス曲である「Mission」中盤に登場する英語のラップはパク・ユチョン本人が直接作詞したものだと知られている。

JYJの唯一の英語ができるメンバーが作ったラップだからかジュンスが時々、ソロ舞台で「Mission」を歌う時はユチョンの英語のラップの部分は、編曲でスキップする時がある。

ところが、むしろ東方神起脱退以降は曲の制作活動が疎らになった、東方神起脱退後、ジェジュンジュンスが意欲的に自作曲を作り始めたのとは対照的である。密かにミュージシャンのイメージを期待していたファンの立場では、残念なことである。

2013年には、4年ぶりに再び訪れた東京ドームで春に似合うブリットポップスタイルのソロ自作曲を久しぶりに発表した。タイトルは「彼女と春を歩く」。とても久しぶりに出てきたユチョンの自作曲。ファンはこの曲が桜が咲き始める前に出てくると予想してすごい期待していたが、後に「この曲は、コンサート用の歌」という言葉にファンは挫折した。

それでもパク・ユチョン特有の感性的な歌詞と甘い声でファンの間では、好評される。そして、最終的に2016年1月18日、デビュー12年目で初のソロアルバムが発売された。

ソロアルバムのタイトルとタイトル曲は「あなたの財布にはいくらの愛はありますか?>。上述した「彼女と春を歩く」もライブバージョンで収録された。全六曲収録。

このアルバムは、ユチョンの感性がそのまま溶け込んでいる秀作で発売当時、各種販売チャート1位を席巻、今でも愛されている。

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チケフェス編集部の韓流チームです。 Twitterは@ticketfeskrで韓流情報を流しています。ちゃんと韓国語も話せるので、日本語になっていないローカル情報を含めて発信していきます。
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